寸想::::想定外が待っている

 なぜ規模が大きな災害が発生するのか?
ハリケーンカトリーナは最大風速150kの化けものだったし、最近、「史上最悪の」河川の氾濫が立て続けにおきている。パキスタンやオーストラリア北部の大洪水、ミシシッピ川の氾濫...。おまけにスマトラや東日本の巨大地震の大津波だ。

 わたしの疑念の対象は「水」だ。
 水の様子がおかしい。
 巨大なパワーで治水を行い淡水をダム湖に貯めこみ、乾いた土地では地下水を果てしなく汲み上げて帯水層のバランスを広域にわたって崩している(オグララ帯水層など)水蒸気の流れと地下水利は不可視だが、二酸化炭素より現代文明への関係性がダイレクトでディープである。
 炭素循環に続いて水循環にも変調をきたしているのだろうか?

 なぜ、これまでに起きていない規模と範囲の災禍がたてつづけに起きるのであるか?
その答えはない。「水」はひとつの視点でしかない。「水」の循環の異常について、その原因すら議論百出で決められない。異常がないという意見が大勢を占めるだろう。よって対策が出せないであろう。

 70億人という巨塊な人口がもたらすアグレッシブな経済活動とその環境負荷というのは、どのような想定外を人類にもたらすだろうか。
だれも知らない。
 解決を困難にしている要因が、もう一つある。
 200におよぶ国家間の利害の不一致。それと、相互に結びついた社会とインフラや人間のつながりが、別な事件を誘発し、後遺症を大きく拡大させるにいたるのだ。想定外の大津波原発メルトダウンを引き起こしたように。


 人類は怯えている。
 地球温暖化の不可逆的な進行や絶滅危惧種の増大という可視的な事態は、まだ、いい。姿が見えているからだ。
 怯えのわけは、こんなところだろう。
 見えない危機が、地球上の支配種にのしあがった人類を虎視眈々と待ち受けているのではないかと。