もし三角法がなかったなら

 三角法とは三角法の辺と角の関係をもとに様々な幾何学の問題を解く方法もしくは定理の集まりである。
 バビロニアにてその原理が確立されていたが、それがエジプト、そしてギリシアに流れ込み、エウクレイデスの『幾何学原本』に代表されるような一大体系となった。
 先ごろ、バビロニア起源がさらに1000年ほど遡るかもしれないというNEWSが流れていた。

 そこで、次の疑問を発する。
「もし三角法がなかったなら、どのような部分(科学技術)が現代文明から欠損するであろうか?」
 ここは三角形の幾何的な性質、相似についての知識や直角三角形の性質、ピュタゴラスの定理なども入れておくとしよう。

 まず、測量術一式が消え失せる。
 正確な距離を測るためには直接測量だけになってしまうだろう。三角測量法が土地計測の基本だからだ。こうして二点間の距離だけで土地を被覆するような、そんな不安定な地理空間がもたらされるのであろう。
 建物や山の高さを知ることが難しくなる。その延長として天体の位置だけを不確かに記録からは天文学は成立しなくなるだろう。
 つまるところは太陰暦太陽暦の精度が非常に劣ったものになるのではないか?
一年は360日でしかなく、暦のズレを天体計測から算出できなくなるのではなかろうか?

 長大な距離計測の精度劣化は三角法不在の自然な帰結だ。つまり、正確な地図は永遠に描けない。地球が球面であることも認識できないままになろう。
 大地は平坦なままで十分であり、あらゆる天体は奥行きのない天球表面をさまよっているだけ、法則性も発見できないことになろう。
 つまり、いつまでも天動説なままでありニュートン力学は未発見のままとなるであろう。

 巨大な建造物を設計構築することはもちろん、都市計画も不可能になる。上水道などの大規模治水技術は生まれず、したがって遠方から水を引き入れることもできない。その国土に水の恩恵をあまねくもたらすこともない。
 交通網も非効率なままになる。道路は適切に配置されず、当然ながら位置計測を前提とする(遠洋)航海はできない。航海術は未熟なままだろう。従って、遠洋航海が定常的に実施できないとなれば、海洋国家は生じない。
 高層建築やそれどころか都市がない「文明」になる。つまり、大きな国家は生まれないのではないか。

 このような歪な文明があったろうか?
四大文明とされる黄河文明、インダス、エジプト、メソポタミア文明はいずれも運河や都市や巨大建造物の遺跡を伴っている、メソアメリカのマヤ文明などもピラミッドや都市を伴っていた。あるいは精密な暦を持っていた。
 巨石文化を生み出した人びとには三角法は不要だったろう。人手や時間や効率などは度外視してストーンサークルのようなモニュメントを創り出したのだろうから。他方、都市や治水を伴うような古代文明には三角法は必須であろう。
 三角法不在の古代文明は地球上には有り得そうもないようだ。