支倉常長とポケットティッシュ

 最近の時代劇を見ていて気がついたのだが、どのサムライも懐紙を胸元にはさんでいない。昭和初期の時代劇に出てくるいっぱしのサムライは皆、懐紙をもって、人を斬りするたびに刀を拭っていた記憶があるのだが、違うだろうか?
 それはともかく。
 慶長遣欧使節団を率いた支倉常長はローマで大いに人々の注目を浴びた。ドン・フィリッポ・フランシスコという洗礼名まで授かる。
 彼のローマでの記録で面白い記事に出会った。当時の位あるサムライは懐紙をヒトタタミ持参していて、ハンカチ替わりに用いた。そういえば、ルイス・フロイスの『日本史』でも同様な記述がある。
 支倉常長も例外ではないのである。面白いのが、彼が痰やツバを懐紙に包んで捨てるとイタリアの貴婦人たちが争って拾ったというのだ。
 和紙が珍しものであったことを証する記録だろう。
 往時の日本人はまことに堂々としていた。ローマの貴族らに何ら臆すことなく立ち居振る舞いも立派であった。ヨーロッパは日本を非キリスト圏ではあるが、完全に対等な文化とみなしていたに違いないのだ。19世紀以降の世界を制覇していた列強諸国の目線とは一線を画していたのだろうと考える。
 それゆえに、支倉常長は、異なる伝統をもつ対等な文明人としてローマ教皇に拝謁しているのであります。

 そして、ローマ上流階級の注目した懐紙なるものは、現代日本においてはポケットティッシュという形態をとり、その伝統を引き継いでいるのだ。