人の亡き後ばかり悲しきはなし

 ひと回り以上若い友人が突如として鬼籍に入った。新年会も多忙でパスしていたので過労からの死去かもしれない。
 が、信じられない。病弱なわけでもなかったのだから。働き盛りの呆気ない去り方、現世からの辞去であった。
 昭和後半から時代は知人友人の死去というのはそれほど頻繁なわけでもなかった。とくに自分より若い知己の死去というのはほとんど未経験であった。
それだけにある種の喪失感が振り払えず、それを言葉にすることもママならない。

 そう言えば、最近、井上靖の『しろばんば』を再読する機会があった。伊豆の湯ヶ島小学校がその舞台なのだが、近く廃校となるというニュースがあったからだ。
 さき子という叔母が主要な登場人物なのだが、幼少期から主人公の洪作を可愛がってくれた叔母が肺病で若いみそらで死出の旅路につくところで前半が終わる。大正時代ではよくある出来事であったに違いない。
 身辺の親しい人々がある日突然、逝去するのは茶飯事だったのであろう。
西田幾多郎の手記も思い起こされる。小学生だった子供を亡くした幾多郎は娘が正座して教本を読み上げる光景を思い出し、断腸の思いに耐えないと書き残した。哲学者ですらそうなんだな。

 多感な少年時代に思慕した親戚に去られたにせよ、無辜の子女を喪失した親にせよ、その死は、その生のかけがえの無いこと、死去したものと過ごしたその時が喩えようもなく貴重であったことを哀傷の念とともに、こころに刻み付けるのであろう。
 そうした痛惜の念を刻むには、絆が酷薄なまでに、か細く掴み難い時代だ。