科学活動の中心は太平洋を超えるか?

 2015年のノーベル賞連発の日本科学界である。
 まことに慶賀な出来事ではある。
 ここで、一つの科学界の趨勢について参照しておくのも悪くないだろう。
それは、科学活動の中心が欧州から北米にシフトするとした学説である。異なる情報源をもとにした実証的研究である。
 すでに故人となられた方であるが、湯浅光朝というサムライのような名の科学史家の大家の研究であります。
 ご覧のようにウェブスター人名辞典と平凡社の『科学技術史年表』、それにノーベル三賞(物理、化学、医学・生理学)の事実を照合した結果である。

 新大陸でも北米に研究中心は移動したのは確かだろうし、今しも東海岸から西海岸に移動しているというのもあり得ない話しではなかもしれない。つまり、MITからカルテク、ハーバード大からスタンフォード大に移動中ということは分野によっては検証可能であろう。

 このように旧大陸から新大陸に科学研究の中心がシフトしてきたというのは反論する人はいないだろう。
 しかし、それが太平洋を超えて東北アジア(日本、朝鮮、中国)に及ぶということまで主張する人はほぼ皆無だろう。あるいはオーストラリアやニュージーランドを加えてもそれは裏付けられない。
 それでも19人の日本人に加えて中国人(中国本土)も一人受賞してはいる。オーストラリアやニュージーランドの関係者ではラザフォード(NZの紙幣を飾った)やエクルスがカウントできなくもない。
中国人の渡米者もカウントは可能だろう。ヤン・ミルズ場のヤンや、ウー、リーというシカゴ大学の3人の中国人は物理学賞を獲得している。
 だがそれでも、東北アジアに移動には程遠いだろう。

 ここで一つ、日本人受賞者の遍歴を掘り下げてみたい。ノーベル賞の受賞理由の研究がどこに起因するのか。海外留学や海外での共同研究なのか、それとも国内にあって純国産的なのかを調べてみた。
 受賞年代順に並べて結果である。

 半数以上は国内を拠点として研究であること。それと海外での研究の場はアメリカが圧倒的であること(5点でしかないけど)西海岸が健闘しているのがわかる。米国の研究流儀を見つつ学びつしているのはここから十分に推察できるだろう。
 ただし、朝永振一郎のドイツ留学は特別な扱いかもしれないが、ここでハイゼンベルクと交流していないければQEDへの貢献がありえなかったためだ。日本での研究成果に対してノーベル賞は与えられている。

 国産研究の比率はかなり高いのが意外といえば意外である。もともと、海外の研究を間接的に知りそこから独力で模倣品を作りこむのはエレキテルが好例だし、蘭学者たちの活動から戦時下(太平洋戦争中の電子顕微鏡や碧素など)の研究開発もそうだった。
 ある意味、天井穴(出島のような覗き穴)からの小さな情報でも研究はできたのだ。高木貞治類体論第一次世界大戦で西洋の研究情報が途絶えた時に生まれている。

 では、冒頭の科学研究中心のシフトはどういうことにあるだろうか?
 アメリカが衰退しつつあるのは確かだが、その後継国はどこにもない。よくて、科学研究中心の環太平洋シフトくらいだろうか?
 つまり、アメリカ西海岸と中国、韓国、日本それにANZ(オーストラリアとニュージーランド)が主役になるのだろうか?
 あるいは既になっているのだろうか?


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