文庫にもなって久しい『アンティキテラの古代ギリシアのコンピュータ』(文春文庫)だけど、その最終章の10章が「アルキメデスの影」という題なのは興味をそそる。
地中海の底から引き上げられたアンティキテラのコンピュータとは、二千年以上前のかなり精密な天文シミュレータ、つまり、機械時計なのだ。それは3層にまたがる30もの歯車で暦を刻む。
その沈没船があった場所はバルカン半島の付けね付近だが、イタリア、とくにシチリア島との航路であったという。
それがどの科学的伝統に属するかを探るのが「10章 アルキメデスの影」である。
比較的資料が残されている古代最大の数学者アルキメデスにその淵源を求めるという結論となっている。
数学者としての経歴を始める前にアルキメデスは技術者としての腕を磨いていたと斉藤憲氏、アルキメデス研究の世界的権威がそう指摘している。氏によれば、前半生はエンジニアとして腕をみがき、後半生でその技能を生かして静力学=幾何学の蓄積を数学論文に蒸留して結実させたと考えている。
それに伝承によればアルキメデスの父親は天文学者だったという。
自分が不思議なのは、仮にシチリア島でそうした技術と数学が一体化した高度な職人集団がどうして生まれたか、だ。
これは南イタリアという、より広い視点で捉えるとヒントが浮かび出てくると思う。
マグナグラキア(大ギリシアには)二つの数理科学の伝統があった。
1)南イタリアのギリシア都市クロトンのピュタゴラス
2)南イタリアのギリシア都市エレアのパルメニデスとゼノン
前者については説明するまでもないだろう。ピュタゴラス教団は教祖の死後も長く影響を保ち続けた。
おそらくは南イタリアではその学問的伝承はローマ時代まで継続していた。キケロの同時代には新ピュタゴラス学派が存在していた。
数を世界の原理(アルケー)とする学派は、天体の運行にも一家言あったろう。
後者については、サボーの研究により幾何学論証に痕跡をとどめるというのが定説化された。伊東俊太郎の『ギリシア人の数学』を参照してもらえればいいだろう。
エレア学派の科学的影響はエウクレイデス『幾何学原本』へある局面で見事に残存しているのであるが、未解明なところはある。天体を球として捉える、円運動を基本にするなどというのは天文学への遺産だといえなくもない。
生存年代(推定)の比較
アルキメデスの時代との懸絶はピュタゴラス学派が南イタリアでの存続でカバーできる。
アルキメデスの機械学上の功績は「ねじ」、ウォームギアに相当するものを発明したことだとリプチンスキが書いている。面白いのはタレントムのアルキュタス(前4世紀のピュタゴラス派)もその候補であることだ。
梃子の原理、浮力の法則、それにねじとその応用としての軍事技術は彼の歴史的遺産だ。
ギリシア時代の技術の継承の流れをまとめた専門書は少ないので、マグナグラキアにおけるその歴史は想像の域を出ない。
技術屋と数学者の能力がアルキメデスに凝縮されて桁外れな業績を残したのは事実であろう。
この点で近代のフォン・ノイマンはアルキメデスに近い。ノイマンは応用数理でいくつもの業績を残しているがその源泉は自然科学や技術開発だった。
技術の先端分野が数学に大きな刺激を与える例だろう。近時ではコンピュータ科学はその代表か。
しかし、南イタリアの数理的な伝統が後代のアルキメデスの時代にまで伝えられ、アンティキテラのコンピュータに連なると夢想するのは愉しいものがある。
【参考書】
千年間の最大の発明は「ねじ」であるという主張のもとに「ねじの父アルキメデス」がその発明者というのが結論
ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語 (ハヤカワ文庫NF)
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ギリシア数学史の権威が「天秤の魔術師」つまり、機械的方法論で球や円柱の体積を研究したアルキメデスの天才を論証する
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伊東俊太郎の簡潔な名著は学術文庫にある。第3章「ギリシアの数学」を参照
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こういう良質の科学史ジャーナリズム本が文庫で気軽に読めるのはウレシイ。
かつてはただのオーパーツ扱いだったが、今ではシチリア島の暦文化と関連する証拠がある。ギリシアには精密機械のテクノロジがすでにあり、それはビザンツ文明とアラビア科学を経由して、ヨーロッパに逆輸入されるというところまでも、追跡できている。
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興味を感じた読者はディールズの古典『古代技術』も読んでみてほしい。
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現地のアンティキテラ島の所在
英語版のドキュメンタリーだけどその技術的な驚異は伝わるだろう。