最適性と楽観主義

 フランスの偉大なる啓蒙思想家であるヴォルテールは『カンディード』で同じ時代の数学者モーペルチュイの信念「この世は最善の世界である」を徹底的にからかっている。

 その「カンディード」の主人公(二番目だが真の主人公)であるパングロス先生はいつもくじけない!

「なべて物事は、現にあるより以外ではあり得ないということが証明されているのだ。」と彼はいった。
その訳いかんとなれば、すべてのものは何らかの目的あってつくられているのだからして、必然的に最善の目的のためにある。
 よろしいかな。身は限鏡をかけるためにつくられている。ゆえにわれらは限鏡をかける。
 脚は見ればわかるとおり靴をはくために設けられている。ゆえにわれらは靴をはく。」  吉村正一郎訳より

とパングロス先生は、どのような苦難に会おうとも説くことをやめない。パングロスの滑稽さはヴォルテールによって見事に演出されている。
 この小説は現在まで影響を及ぼしているのは、日本語訳が出ているどころか、あのレナード・バーンスタインによって舞台音楽までつくられているのでも明らかだろう。

 残念なことに日本では「west side storyウェスト・サイド・ストーリー)」の方しか脚光が当たっていないようだが。
それすらも知らない人がいて、ウエストサイズストーリーはダイエットの悲劇だと訳知り顔に吹聴するらしい。


 モーペルチュイの力学原理である「最小作用の原理」はいまも力学の教科書に顔を出しているので、その値打ちは下がっているわけではない。
 ヴォルテールが戦ったのはモーペルチュイだけではない、その黒幕のヴォルフ=ライプニッツの楽観主義をターゲットにしていた。
 楽観主義(optimism)と最適性(optimal)の語源はおなじものなのだそうだ。
http://www.kandagaigo.ac.jp/kuis/culture/archive_71-80.html

 そうした風刺の対象は、数理生物学にも広げてもいいだろう。
 実は、最適化原理は社会生物学の一部で、適者生存の裏付けとして用いられている。子孫を数理的に最も残すように資源配分や行動を最適化しているのを「証明」してくれている。まさに「現にあるより以外ではあり得ないということが証明されているのだ」のような仕方で証明する手腕は、鮮やかすぎて信用できない。

 生物の数理モデル作成者は、それは誤解であると反論するだろう。「最適化は結果を説明しているだけである。無数の試行錯誤の結果、生き残りの平衡状態となった。最適解を出す数理モデルはその平衡状態を説明しているだけだ」と。

 「ライプニッツのような目的論ではないし、生き残りの平衡状態だけを説明しているのだ」と。ま、一応、結果から原則(目的関数の最小解)を出しているのではないという反論は理解できる。
 だが、そこまでだ。
 しかし、生物が一つの目的関数を最小化することで生き残りという複雑な選択に遺漏なく応答しているというのは、まったくの「思弁」である。
 そのような前提は不自然である。力学的な原理を生物の行動や生き残り「戦略」に持ち込むのは、形而上学的な荒業である。
目的関数は「エネルギー」であったり、「適応度」であったりする。だが、そんなシンプルな目的変数一つで生物の一連の行動・形態・遺伝がすべて語れるとするのは牽強付会ではないか?

 そう! 力学的な自然観がそのまんま生物に持ち込めるとという思いは、かなり「楽観主義」的である。

 その証拠は、実に物理学における「最適化原理」の後退にも現れている。
 詳細はエクランドのこの研究書をあたってほしい。
タイトルに対して、内容は生真面目で、やや退屈であるが、思想的な鉱脈を掘り出して貴重な一書であると思う。


数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ

数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ

カンディード 他五篇 (岩波文庫)

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