西洋数学史で黄金期とでも言えるのが17世紀から18世紀のあたりでしょう。
綺羅星のごとき天才鬼才が間断なく出現してくる時代でした。
注目すべきは西ヨーロッパの国をまたがっていても彼はその研究プロセスにおいて、交流し、刺激しあい、成果を共有できていたことです。
彼ら、といっても枢要な人物を6人ほど取り上げただけですが、そのライフスパンをタイムテーブル表示してみるといいでしょう。
近代数学の祖ともいえるデカルトから始まり、ニュートンとライプニッツまでの重要な中継ぎとしてフェルマ、パスカル、ホイヘンスをとりあげました。
デカルト、フェルマ、パスカルはフランス。ホイヘンスはオランダ。ニュートンはイギリスでライプニッツはドイツ。
一国に一世代にはぴか一の天才は一人出現するだけであっても、多国籍での交流ネットワークがあれば、その業績は相互作用によって止揚できるとでもいえるかもしれません。その場合、学術言語ラテン語とメルセンヌのような存在が欠かせないわけです。
この後に、ライプニッツの弟子にはスイスのベルヌーイ一族が列しています。ヤコブ・ベルヌーイが直接的な弟子になるわけであります。
高名なるオイラーは天才の世紀の息吹と遺産を一身に引き受けたようなポジションにあったわけですね。彼もスイスの人です。
明日はその代表的な業績である「あの有名な」ベルヌーイ数を取り上げて。雑駁な計算を実演してみます。
なお、上記の数学者はベルの古典的な数学者列伝によります。