伝記や著作物から名だたる哲学者たちの数理能力を評価してみる。お題で「品評」としているのは外面的/表面的な評価にすぎないという但し書きのつもり。
古典期ギリシアからスタートする。
まず、哲学の始祖ミレトスのタレス。そして、ピュタゴラスとデモクリトス。この三人については著作物はなにも残されていない。
しかし、ピュタゴラスの数学的宇宙観やその学派の活動については言うまでもなく、タレスやデモクリトスも数学的な研究をしていたのは確からしい。ディオゲネス・ラエルティオスの評伝やプロクロスの数学史覚書からも明らかだ。
ソクラテスの数学についてはなにも伝わっていない。もちろん、プラトンの対話篇の主要人物であるソクラテスは『メノン』なので奴隷の子に幾何学の手ほどきをしていはいる。だが、その実像は不明だ。
彼についてはアリストファネスの『雲』ではその自然哲学者的な傾向を嘲笑されていることやアナクサゴラスに弟子入りしたとの噂からすれば、初期は自然科学的な探求をしたかもしれない。不幸にして西洋哲学の開祖であるこの人物の数理センスは不明なままだ。
弟子のプラトンともなると数学重視。とくに幾何学重視の姿勢が明確だ。
その学校であるアカデメイアに「幾何学を知らぬ者はこの門をくぐるべからず」と銘があったのは有名だ。
プラトンの多面体は彼の発見ではないにせよ、その数理的世界観は『ティマイオス』に表れている。
どのくらいの数学的能力であったかは不明だが、彼の一大冒険であるシュラクサイの
ディオニュシオス2世との逸話にあるように幾何学を教え込んだのは事実であるらしい。
万学の祖であるアリストテレスについては数学的な著作物はなにも残されていない。しかし、アカデメイアに学んだからには幾何学については一角の教養を積んでいたであろう。アリストテレスの学問的傾向は生物学的と見なされている。その一方で論理学の礎を築いたのは事実であるし、天体論や自然学なども著しているので一流の理系センスはあったのは疑いようはない。
彼の後継者たち、ペリパトス学派は自然科学研究が盛んであったのも事実だ。
そして、ローマ帝国時代の哲学はストア学派やエピクロス学派となる。この学派の哲学者たちは幾何学を重視したという風潮はないようだ。一時期、新ピュタゴラス学派とか新プラトン主義が登場し、知性の練達のために数学を学ぶなどがあったようだが、自然の探求などとは別モンだった。
後期のローマ時代には数学は教科書的な学問としてのみ哲学者に扱われていたにすぎない。例えばボエティウスなどはすぐれた教科書の書き手として後代に影響を残した。
中世のスコラ哲学の時代になるとリベラルアーツとして幾何学は学ばれてはいた。数理が世界観に深く浸透した人物となるとニコラス・クザーヌス以外は思い浮かばない。
彼の「無限」と「極限」概念を組み込んだ幾何学的な世界像は微積分学に連なる深淵な思考であると言えるかもしれない。
ロジャー・ベーコンなど修道僧にも数学的な探究心が芽生え、その流れはフランシス・ベーコンやトマス・ホッブスにも関わる。とくにホッブスは幾何学にも才能を発揮した。だが、近世哲学の開始はフランスのルネ・デカルトを待たねばならない。
デカルトは近代的自我の発見と解析幾何学の創立という二重の栄誉を担っている。これは偶然ではないだろう。デカルト座標系という自己という原点から世界を解析幾何的に秩序化する見方は「コギト・エルゴ・スム」のロジックとパラレルな感触があるような気がする。
ほぼ同時代にパスカルが誕生する。彼の幾何学の才能はデカルト以上だったが、何と言っても「確率論」という不確かさを計量化する学問を創始したのが特筆すべきだ。
これも彼の「神」体験と密接なる関わりがありそうだ。
それと前後してスピノザとライプニッツが出現する。スピノザはレンズを磨く傍ら幾何学原本に倣って『エティカ』を公理風倫理学として世に出した。
彼の幾何学研究はホイヘンスのオランダにふさわしく高水準だったが、あいにくとスピノザの定理なるものはない。彼の親友で共和国指導者のヨハン・デ・ウィットの統計的数理センスは一流だった。
ライプニッツにおいて哲学と数学の能力は最高度の結合を達成する。おそらく古今東西の哲学者で最高の数理的頭脳の持ち主であり、その両分野での業績も比類ないものである。
微積分学の創始者の一人でもあり記号論理学や二進法やトポロジーにも言及している。以降の世界で彼にまさる数理的哲学者は出ていない(ラッセルやウィトゲンシュタイン、カルナップは論理学者もしくは分析哲学者であるに過ぎない)
17世紀から19世紀にかけてイギリスとイタリアにおいてはドイツやフランスのような数理的哲学者は生まれなかった。そういってもいいだろう。
カントに始まるドイツ哲学の黄金期の学者たちの数理的センスについては、カントがピークであったという評価でいいだろう。
ニュートン力学に詳しいカントですら特段、数学に関わる著作はない。フィヒテやシェリングもそうだ。ヘーゲルには怪作『惑星軌道論』があるが、数理的能力が高いとはイイ難い。
マルクスの数学能力はエンゲルスによって落胆の感想を残されている。それでも経済学の古典を残したのだから大したものだ。しかし、唯物主義の哲学者の数学センスは語るに落ちる。
盟友のエンゲルスはそれなりに自然科学の進歩を理解しようとした。その異様な成果物が『自然弁証法』である。弁証法的唯物論に歪められた科学理解がそこに残されている。
唯物論者は数理能力が見劣りするというのを主張しよう。
ディドロにせよ、フォイエルバッハにせよ、ガッサンディにせよ、見るべきものがないようだ。トマス・ホッブス以降、数学力が著しく退行しているのがトレンドであろう。
なので唯物論哲学者は数理的には落第生が多いという言明は「真」であるらしい。
なぜ、そうなるのかは面白い問題だ。
自分の考えを簡単に言えば「唯物論哲学者は肌合いがアンチ・プラトン主義である」
つまりは、法則のような普遍性あるいは抽象理念は原子のランダム運動の支配する世界では無用の長物なのだと信じているのではないか?
20世紀の入る。初期にはフッサールとベルクソンがいる。彼らは数学的素養が十二分にあった。
フッサールはワイエルシュトラスの助手として学問的職業をスタートしている。『幾何学の起源』なる著作もあるので数理的能力は一流だ。同時期のベルクソンも相対論に挑んだ『持続と同時性』なる意欲作がある。だが、フッサールよりは生物学的だった。代表作が生の力の能動性をヒーローに仕立て上げた『創造的進化』である。
ここでウィーン学派が登場する。彼らの動きは自然科学の強みを取り込もうとする大陸合理論の結集である。
マッハはウィーン学派に属してはいなかったが、その父祖の一人というべきだろう。彼は著名な物理学者であったけれど同時に哲学者、要素一元論の主唱でも一家をなした。そういう意味では一流の数理的哲学者であった。
ウィーン学派のメンバーではカルナップやライヘンバッハが高度な数理的能力を駆使した学説を打ち立てた。科学哲学もしくは分析哲学に連なる業績が積み上げられた。
他方、イギリスではラッセルとホワイトヘッドが論理主義をかざして、数学の論理的基礎を構築しようした。それが通読した人物がほとんどいないという『プリンキピア・マテマティカ』になる。両者とも数理能力は一品である。
二人ともケンブリッジのラングラーであった。つまりは、高等数学はハイレベルでマスターしている。
ホワイトヘッドはアインシュタインの向こうを張る「一般相対性理論」を生み出した(翻訳本がある)
ラッセルの弟子ともいえるウィトゲンシュタインも一時は航空力学を目指しただけあって、一通りの高等数学はマスターしていたようだ。
今日、数理科学に関心をもつ哲学者たちは正直、それほど多くはないであろう。その数少ない分派は科学哲学者を自称しているようだ。
科学哲学や分析哲学にかかわる人びとはプラトンの流れにあり、数理能力の後継者たちであるといえるであろう。
【参考文献】
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