日本の洋算事始めの地 長崎海軍伝習所

 江戸時代末期、黒船来航の3年後の1855年江戸幕府は『長崎海軍伝習所』を開設した。オランダの建議を受けてのことだ。
 海防を日本人自身で行うには海軍が必要であり、軍艦の前に操縦と運用を行える日本人がいなければならぬ。
 その為に、

地理学、窮理学、星学、測量学、機関学、按針学、船打建方学、砲術学、右の外軍用武備に携わり候諸学

を青年たちに授けるというものだ。ここで西洋数学が開始される。
 測量学や窮理学(物理学)、砲術学にしても数学が必須とされた。科目としては、算術、代数、対数、幾何、三角法などを教えていた。伝習生は幾何には苦労したという。
 なかでも、洋算の素養があった小野友三郎は伝習生に補講をするかたわら、微積分学や力学の特別講義をライケン(オランダ人教師の一人)から受講したという。柳楢悦もここに出身であった。ある意味、高等数学の始まりの場所になるわけだ。
 二人の前身は和算であり、後半は洋算普及に関わってゆく。

 海軍創設という実学から日本の近代数学はスタートしていること、そして、和算がその足腰となったことは記憶されてよい事実だと思う。


 その場所は、出島の向かい側であった。ちょうど、吹き出しのある辺りだ。勝海舟坂本龍馬などもここにいたのだ。出島が4000坪で、伝習所のある西役所は1679坪だった。その右半分が伝習所の教室と寄宿舎になっていたという。
 日本の高等数学の始まりの場所に記念碑の一つでも欲しくなる。


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【参考文献】

日本の数学100年史〈上〉 (1983年)

日本の数学100年史〈上〉 (1983年)