数学史が与えてくれる突破力

 住居の半径1キロ以内で最大の数学史ライブラリーを所蔵している。調べたわけではない。勝手にそう思い込んでいるだけのことです。
 念の為に半径500メートル以内で最大の数学史蔵書を誇ると言い直しておきます。

 だもので、数学史蔵書をもっているといないとで何が違うかを書きます。ああ、正確に言えば数学史を知っていると何を得するかを書くという意味です。

 数学が嫌いになる最大の理由は、何のための「こ難しい理屈」だか分からないとかいうのがありますね。
 とくに、高等数学や抽象代数ではそう。
 でも数学史をひもとくと数学者たちが挑んだその理由が分かります。
 「イデアル」なんかは代表的な分からないものナンバーワンでしょう。数論で出てきます。これは19世紀の数学者が自然数を大幅に拡張したら、素因数分解の一意性が保てなくなりかねないのに気が付き、大あわてで素因数を拡張したものだと理解してます。
 イデアルの定義がいきなり与えられてもピンとこないのですね。これは整数論の歴史がつぶさに語られないと分かりません。
 ベルの『数学をつくった人びと』はそこがズバリ書いてあります。「クンマーとデデキント」のところですね。素人むけの説明があります。クンマーがどんなに苦労したか、悪戦苦闘して理想数という入り組んだ概念を考えついた。理想数は素因数分解一意性を回復してくれるけど、すごいゴタゴタしたやり方なんですね。そこで愛弟子のデデキントが「イデアル」にスマートに言い換えたこと。スマートすぎて後世の凡庸な人には抽象的すぎて、有難味が感じされない。理想数の分解を見ればおおそうなのかとクンマーの苦心が思いやられるのであります。
 
 それに自然数をどう拡張するかを頭ごなしでないやり方で教えてもらうのが肝心です。「ガウス」のところでガウス整数が紹介されてます。虚数を付加した「整数」です。自然数が別の世界にひろがってゆきます。その仲間がやがて代数的数体と総称されます。平方剰余の法則の重要な意味が分かりだします。...と物語りふうに教えてくれるのです。

 拡張という点で典型は、実数の拡張であります。実数に虚数を加えて複素数になる。さらにハミルトンは四苦八苦しながら「四元数」を創り上げます。その代償は交換則を捨て去ることでした。やがて、ケーリーが「八元数」を、四元数はスピノール代数という素粒子論での活躍場面がやがて現れます。八元数が打ち止めであるのも証明されます。単位ベクトルをかけても距離が保存されるのはこの4種(実数、複素数四元数八元数)だけであるのはヒルベルトの先輩フルヴィッツが証明しました。
この流れもベル『数学をつくった人びと』から読みほどく愉しみがありますね。

 数学嫌いに話しを戻します。
 記号が嫌いだ、というのもあります。数式があると疎外感をもつ人も多いようです。
数式一つにつき本の販売が半減するとまで言われてます。とりわけ、微積分のdxとかインテグラルなどは目の敵にされます。
 そこはニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』をちらりとみせて、図形だらけの長々しい証明より、微分がどれほど楽チンな方法かを示すなんてことが可能です。何十ページもの幾何学的な証明が、微積分法では一頁で、証明できてしまうのです。このパワーの差は、過去と現在を目で学ぶしかないでしょう。
 幸い日本語でニュートンの『プリンキピア』が入手できます。ただし、読めるもんじゃありません。
 それにしてもチャンドラセカールの解説も邦訳があるのはスゴイです。
 
 早い話、高校の数学は古代の天才数学者アルキメデスが苦労して証明するような問題をかたはしから解けるようなスゴイものなのだということを学校で教えるべきでしょう。
 アルキメデスは放物線の面積を取り尽くし法で知力の限りをつくして計算しました。数Ⅲを身につけた高校生はそれをあっという間に計算してしまいます。三次関数だろうが四次関数だろが、ひと捻り。
 アルキメデスが知らなかった三角関数や対数関数などでギリシア人の解けない自然科学の問題も解けてしまう。コンピュータ&インターネットが情報通信をみんなのものにしたように、数学はかつての大天才の数理能力や計算力をみんなのものにしているとのことを知るには、数学史なのですよ。

 アラビア数字と位取りでの四則演算のおかげで、途轍もない計算力を市民のものにしました。
 カジョリ『初等数学史』でそれを再認識するのはいいことだと思います。もっとポップなのだとサイフェの『異端の数ゼロ』でゼロ割りのバグで高価な原子力潜水艦が沈没する逸話を読むのもいいでしょう。

数学をつくった人びと 3 (ハヤカワ文庫 NF285)

数学をつくった人びと 3 (ハヤカワ文庫 NF285)

復刻版 カジョリ 初等数学史

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異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

 数学史の本は200冊ほど抱え込んでいます。自炊したのは50冊くらいかな。ギリシア数学史から近世の微積分の発達史、代数学整数論のテーマ別歴史、記数法や円周率の歴史や数学者の伝記など様々です。最近、和算ブームもあり和算史書も増加中ですわ。


 この数学史教材サイトはその重要性をしっかり教えてくれます。
  http://math-info.criced.tsukuba.ac.jp/Forall/project/history/index.html