さる水曜日に会津若松の栄螺堂を訪れた。中秋の会津盆地は33度。
うららかに晴れわたる一日で、そして、ときならぬ真夏日。
飯盛山はやや閑散としていたが、それでも観光客が三々五々と散策していた。
なるほど、この山からなら盆地を一望できる。白虎隊は会津若松城を望見できたのがよくわかる。山に登る長い階段沿いにはオートスロープがあり、有料で老人を運びあげてくれる。司馬遼太郎が30年前に訪れたときには、このスロープがすでにあり、司馬を詠嘆させている。だが、老人大国である今は必要なのかもしれない。ラクチンだもん。
中腹からわき道の入ると、あったあった「さざえ堂」。小ぶりながら端然としたつくりの塔があった。塔の真上から照りつける昼下がりの日差しが眩しい。
拝観料400円を払って、勇躍なかに入ると目前にあるのは僧侶の像。塔内に土足で入れる。
緩やかな斜面を三回ほどまわるとすぐに頂上。天井が低いが頭をぶつけるほどではない。塔のテッペンの天井は六角形だ。つまりはこの塔は六角形が基調なのだ!小さな発見。
出口に鎮座する禅師にお賽銭。そして、名残り惜しく写真を撮る。
さざえ堂由緒書き。
それに境内の降り口にある檜の巨樹と社。
実はここにはムッソリーニの碑もあるのだ。
二重螺旋を回遊式の遍路に見立てた奇想は江戸の日本にしかない。三十三観音をお参りするのに、上り1周り半降り一周り半の三回周りで、三階建てと洒落が込んでいる。螺旋を建物に組み込むなどという古い伝統は中東の遺跡でしか見たことがない。
螺旋の構築物の情報を探してみたらこのサイトでも同様な考察をしていた。会津の螺旋は住職の郁堂が考案したという。江戸での流行が東北に浸透して、ここで一つの完成をみたのであろうことは想像できる。
きっと淵源はどこか日本以外の他の場所だろうけれど。建築物としてはヨーロッパにもあることはあるが、世界の両端で独立に発生したようでもある。
生命の分子DNAを絵に描いたような、まことに不思議で異形の建物である。数学と生物に関心がある人びとのメッカとなるべき聖地であると思うのだ。
建築様式の歴史と表現―いま、日本建築を劇的に (アーキテクチュア ドラマチック)
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