マーガレット・ミードのサモア

 文化人類学者のスターであるマーガレット・ミード出世作サモアの思春期』は、アメリカ文化の各方面に多大な影響を与えた。ところがデレク・フリーマンが、その結果にイチャモンをつけた。
1983年のことである。
 これは、アメリカ最大の論争のひとつとなった。
ミードのフィールド調査は現地人をよく知らないままに、一部の女性の欺瞞を鵜呑みにしていたというフリーマンの批判は、彼の数十年におよぶサモア文化調査をもとにしただけあって説得力があった。
 その研究をした当時のミードはまだ若く、サモア語も片言しかわからずに数ヶ月の現地調査だけだったからだ。だが、アメリカの文化人類学者の大半は総力をあげて反批判を行った。
 なにしろ、ミードはその後半生ではアメリカでもっとも尊敬される学者だったのだ。文化人類学の女神とまでいわれていた。
 この論争は実のところ決着がついていない。ミードは『ミードとサモア』が出版されるまえに亡くなり、2001年にはフリーマンもこの世の人ではなくなった。
 「『ミードとサモア』の業績をほめた」NewYorkTimesのフリーマンの死亡記事には、文化人類学会の長老からクレームがついたくらいだ。だから、いまだに文化人類学者たちは納得していないのであろう。

 YouTubeにあるBBCドキュメンタリー[Margaret Mead and Samoa](1988)では、素人目からみて、ほぼ決着がついた内容であった。
というのもサモア人自身がミードの研究を強く否定しているのだ。
 しかも、ミードのインフォーマントだった女性を含めて、「サモアの思春期」を現実ではないと否定しているからだ。(第六回目にインフォーマントであった女性が出てきて、あれは嘘だったのよと明言している)

 このなかには、生前にテレビでサモア人の留学生に詰問されているシーンもある。ミードはその後サモアを訪れることはなかったというが、その事実でさえも彼女を怪しくしてしまうのである。つまり、ミード自身古傷に触れたくなかったのだと傍目に推測させてしまうのですね。


マーガレット・ミードとサモア

マーガレット・ミードとサモア

 この本の出版は、アメリカの出版社からの反発で簡単ではなかった。
日本国内ではフリーマンの本は入手容易であるが、ミードの「サモアの思春期」入手しずらい。
サモアの思春期

サモアの思春期