天体観測の科学史的な原点は、17世紀イタリアにあるのは誰しも認めるところだ。
ガリレオ・ガリレイが、月に望遠鏡を向けた時から、始まる。
さて、ニュートンが光学を創始し、その応用として反射式望遠鏡を開発したあたりで
天体観測の主導権は英国に移った気配がある。
ハーシェルが偉業を成し遂げるからだ。伏線はあった。グリニッジ天文台だ。
17世紀に王立天文台として創設される。ニュートンの活躍時期と重なる。
ハーシェルは、音楽家を本業としつつ、銀河を始めて認識し、天王星を発見して太陽系を拡大する。ハーシェルの後半の人生は19世紀に入っている。
ローウェルという金持ちがアリゾナに私設天文台をつくる(1894年)あたりから、天体観測でアメリカ人が活躍しだす。本格化するのは第一次世界大戦後の金満国化が進んでからだろう。海王星発見はフランス人にもってゆかれるが、ローウェル天文台のトンボーが「冥王星」を発見する。*1
しばらくはヤーキス天文台やパロマー山天文台など大型天文台はアメリカの独占時代であり、重要な発見の大半はアメリカが独占するようになる。その他、パイオニアやヴォイジャーなどなど観測衛星の多さは、誰もが認めることであろう。宇宙の全体像への急速な接近といえば、ハッブルに止めを刺す。彼によって銀河外の銀河や宇宙の広がり、膨張現象などが実証される。
ここまで常識的なことを要約してきて、漸く言いたい論点に近づいた。
アメリカ史において「フロンティアの消滅」は1890年であったとされる。開拓する場所は残されていないという連邦政府の公式見解であった。20世紀後半宇宙開発時代になるまでは、ハワイ王朝を滅ぼしたり、フィリピンを植民地化したりした20世紀前半は太平洋が彼らのフロンティアだったかもしれない。
その実、アメリカ人は宇宙をフロンティアと見なした。20世紀後半はその実践であったといえよう。つまり、フロンティア精神は宇宙観測や宇宙開発にそのまま流れ込んでいるのではないだろうか。それを言いたいがために、ここまで貧しい知識を絞って書いてきたが、スター・トレックの冒頭のフレーズが代弁していることも、蛇足ながら追加しておくほうがいいだろう。
宇宙…それは最後のフロンティア
- 作者: Govert Schilling,Lars Lindberg Christensen,縣秀彦,関口和寛
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