終末論がやってくる  バベルの無数のざわめき

成長の臨界状態を物語る社会的な現象といえば「終末論」である。
一家言持つ人々がそれぞれの想いや妄念を語りだす。しかもそれらは「時代の終わり」
を告げることでは共通しているであろう。
人々の不安と不信、不幸と不遇にかこつけて語りだす。それがますます先行きの不透明感を煽る。
不幸なことにどれもが、断片的な真実や細切れな誠実さしか含んでいない。
「満たされた欲望」の理想形がどれもこれも似てしまう。そうした挙句が世界的な陣取り合戦である。誰もが同じ理想形に到達しえず、到達しなどころか、これまでの伝統や生き方を捨て去ることで、人々は足場を喪うのだ。
そこに到来するのは、無数の終末論的言説だ。まさに求めていたココロの所在なさを埋めてくれるメッセージだ。
新時代のゴーストダンスやカーゴカルトが無数に生まれるだろう。
情報化というのはざわめきを急速に拡大させる伝染経路をもたらすだけだ。


一連の最もらしい「欠乏」の予測がある。
石油、希少金属、水、食糧(小麦やトウモロコシなど)などなどの不足は足早に訪れようとしている。さて増えるのは、値上がりと経済リスク、論争と紛争、弱者の切り捨てと強者の台頭だろう。
これから時代は、不確実性の時代ではない。不安定性の時代であろう。
中国人の知恵者が「おもしろき時代」と表現する、そうした世の中になるだろう。