本格探偵小説とエウクレイデスの関係

 エウクレイデス、あるいはユークリッドの『幾何学原本』は西洋では聖書の次に売れた書籍ということになっている。
ところで、本格探偵小説(ミステリー)との関係を指摘したい。
 エウクレイデスの原本は、数学の論証スタイルを決定づけている。公準、公理、定義が与えられて、証明すべき命題が論証されるわけである。

 議論を先にすすめるために必要なことはすべてあらかじめ準備して、後から理由を説明しないのがユークリッドのスタイルです

 ギリシア数学史の権威である斎藤憲は指摘している。証明する段になって実はこうだからという後付の理由を持ち込まないのだ。
 もうお気づきであろうが、このスタイルは本格探偵小説のそれでもある。

 探偵小説の戒めから、それを論じてみよう。
 有名なノックスの十戒のうち、第八戎は「探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない」である。
 ヴァン・ダインの二十則では第十五則が相当する。
「事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。」

 探偵は与えられたデータをもとに議論して真犯人であるモノの一意性と存在を論証する、その方式はユークリッドのスタイルと同等なのだ。

 これと対比されるのが、アリストテレスの論法であり、卑近な例では『宇宙戦艦ヤマト』の工作班長真田志郎のヤマトの装備説明だ。「こんなこともあろうかと」いうアドホックはセリフはユークリッドのスタイルとは真逆である。
 一般的にはミステリーの謎解きはパズルに喩えられる。しかしながら、このような形式に収まった背景には幾何学の体系が影響しているのではないか。幾何学原本がなかった東洋では本格探偵小説は生まれることがなかったというのも間接照明かもしれないし、推理小説という別名もそのあたりの事情を語っている。