コンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認して後、その時代の潮流に一人抗った英傑、それが大帝の甥である「背教者」ユリアヌス帝であります。
驚いたことに彼の反キリスト教プロパガンダの著作物は、キリスト教支配のヨーロッパ中世を生き延びた。
ほんとに不思議なことである。
その驚きは以前にも書いたが、その二巻ものの著作集は無料で読める(英語版だけど)
ここでは、敬愛するモンテーニュの言葉を引用しておこう。
本当に、ユリアヌス帝は実に偉大で稀有な人物であった。精神は哲学の思想に濃く彩られ、その思想によって自分のあらゆる行為を律することを信条としていた....
そして、フランスに伝わるユリアヌス帝の逸話を教えてくれる。
彼がカルケドンの町を歩いていると、
「キリストの邪悪な反逆者」と土地の司教が大胆に悪態をついた。
彼はただ、「去れ、哀れな者よ、おまえの目が見えぬことを嘆け」と答えただけであった
もう一つはギボンの『ローマ帝国衰亡史』であるが、その雄壮な著述でユリアヌスの美徳と武勲を読むのは読者諸氏の楽しみにとっておこう。ここでは村山勇三(その訳者)の手際よい要約でその讃嘆の念を伝えることとする。
ユリアヌス皇帝。哲学者皇帝マルクス・アントニヌスの没後、ローマ皇権を把持した人びとはほとんどすべてが粗笨な武弁であった。アウレリウス逝きて二百年、ローマ世界はここに一代の麒麟児ユリアヌスを贈られた。彼はアレクサンドロス大王を師表とした快傑であると同時に、プラトンのイデアの世界を追求する哲人であった。彼は古代の文化・文芸に憧れる国粋主義者であると共に、一世の俗潮流(新興のキリスト教)に敢然として対抗する革命児である。
その革命児も31歳でパルチア人とのいくさで勇敢な死を遂げる。その3年にもみたない短い治世は、幾多の心ある人びとの手により伝承されてきたのだ。
さらには、16世紀のフランスというキリスト教優勢の時代に生きたモンテーニュがここまで褒めた、その勇気と思い入れを想像してみてほしい。モンテーニュは寛容の精神と臣民への奉仕の理想像をユリアヌスに観たのであろう。
『The works of the Emperor Julian Vol.1』(原著英訳版)
該当箇所はモンテーニュの「エセー第二巻 19章」であります。
- 作者: モンテーニュ,Michel Eyquem De Montaigne,荒木昭太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/10/01
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