ソクラテスの奥さんクサンチッペは悪妻の代表ということになっている。これは根拠なきことではないが、ソクラテスがアゴラで若もの相手に終日一文にもならない無駄話にふけり、家のことはほっておいたのは確かだとすれば、クサンチッペが怒るのも無理はない。
刑死する場面を克明に伝える対話篇「ファイドン」ではソクラテスの面前にクサンチッペは子どもたちを連れてきて、夫が死ぬことを嘆いている。
石工としてのソクラテスは、問答に明け暮れて家は貧しく、自然、子育ての時間がなく、身のないものになるだろう。つまり、自分の子どもの教育は等閑視されていたことだろう。
その弟子であるプラトンには子どもがいない。孫弟子のアリストテレスにはニコマコスという息子がいたが、どうも遺書にはその宛先がない。どうやら大成はしなかったようだ。
カントは妻帯していない。その後継者たちはどうであろうか?
ドイツ観念論の筆頭であるフィヒテには愛妻がおり、息子が哲学者となっている。唯一の例外ではないだろうか?
シェリングの息子はなるほど父親の全集を編纂はしているが、彼自身の業績は残されていない。
大哲学者の代表格であるヘーゲル。その息子は学者になりはしたが、哲学の道をとりはしなかった。
マルクスの娘たちはいずれも哲学徒となりはしなかった。マルクスの直系の子孫はいない。
20世紀に入る。フッサールの息子たちはほとんど哲学史の話題となることはない。ウィトゲンシュタインは遺伝子的独我論を貫き、その師匠ラッセルの娘も哲学と無縁だったと聞いている。
近代では、ベルグソンの娘がいい例だ。彼女は霊媒となっている。彼の晩年の研究テーマが宗教、とくに神秘主義を高く評価結果かもしれない。
日本の哲学者でも同様な傾向がある。西田幾多郎、九鬼周造、和辻哲郎などの子孫はいずれも哲学者ではなかった。
ベルグソンの娘の出典
- 作者: イヴォンヌカステラン,Yvonne Castellan,田中義広
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1996/07/01
- メディア: 新書
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