20世紀前半の数学基礎論のから騒ぎ?

 数学基礎論という分野がある。かつてラッセル&ホワイトヘッドヒルベルトポアンカレ、ブラウアー&ワイルなどそうそうたる逸材が論争に明け暮れた学問ではあった。
 ザックリいうと数学の基礎は論理学で語れるというラッセル&ホワイトヘッドの論理主義、すべて公理で語り尽くせ証明不可のものはないというヒルベルト形式主義、数学のある種の公理は排除して考えるべきとするブラウアーの直観主義などだ。
 発端はラッセル&ホワイトヘッドの問題提起からなのだが、そこで幾つかのパラドックスが発見される。
さらにはゲーデル不完全性定理が極めつけで、論理主義や形式主義の理想を葬り去る。

 大きな屋敷の地下室にクモが住み着きました。巣をはっていたクモが、ある日巣の破れに気がついて、たいそう狼狽したそうです。

 泰山鳴動して鼠一匹ということをこの喩え話が語っている。
形式主義はともかく、論理主義が地下室のクモであったことは間違いない。なぜ、ラッセルのパラドックスは数学全体に激震を与えなかったか?
 素人考えでいえば、論理学(述語論理)は数学と繋がっていないからだ。つまり、数学の土台は論理主義が考えていたような体系ではないのだ。
 仮に論理学が数学と一体的であるという証明がなされていれば、それは途轍もないインパクトがあっただろう。だが、大きな屋敷はクモの巣とば別物だったのだ。
 ウィトゲンシュタインが「哲学的探求」で紡ぎだした思想によれば、「数学」は規則のかたまりであり、それらは幾つもの形態を取りうる。普遍的な数学というのは幻想だという。

それにしても、だ。論理主義が提唱されなければ、ゲーデル不完全性定理は生じなかったのだ。


不確実性の数学―数学の世界の夢と現実 (1984年)

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パラドックス大全

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