租税国家の危機

 ちょっと気になることがある。
財政赤字のことだ。
 以下、走り書き。
 先進国が軒並み、財政赤字を抱え込んでいるのは、もはやなれっこになった感がある。
しかし、これは歴史的に初めての社会現象ではない。
 マンキューの経済学などに論じられているように、どの政府・政体も経験することだ。
さらに、この国家財政の赤字はどうやら一大戦争を経過しないと解消されないようだ。もちろん、そこには戦争が必要であるとは書かれてはイない。
 言い換えると、時代の転換期には政治組織が経済的に立ち行かなくなる、のだ。

 気にかかるのは、どのような政体(共和制だろうが、独裁制であろうが民主政であろうが帝政であろうが)であるかを問わず末期には巨大な負債を抱えることだ。
 科学とテクノロジーの時代の現代国家は同じ轍を踏むとは思えないというのは、我らの錯覚だった。
 つまり、近代経済学とか称している「社会科学」はあまり強力な道具ではないということだ。ケインズサミュエルソンハイエクらの偉大な業績があっても経済学は有効な手段にはなりえていないらしい。それはどうやら過去の財政的な過ちを是正できないようだし、どの国家も負債を抱えてニッチもサッチも行かなくなるのを歯止めできない。
 そういえば、「組織疲労」も無視できない。シュンペーターの『租税国家の危機』ではオーストリアの貴族制=領主制の経済的な欠陥を指摘する。官僚制における各種の既得権益特殊法人や土建業等との癒着)はこした欠陥と相似的なものに見える。財政出動は真水とそうでないものとに分離するわけだ。
 企業と官の非効率的な癒着だけではなく、社会福祉そのものも経済的不合理なものかもしれない。
 「財政の崖」という合言葉が欧米では駆け巡り、日本も同様な事態に陥るのは時間の問題だろう。今や、我らの「近代国家」は近代以前の国家と同じ陥穽にはまりつつあるのだ。

 経済学は理論としては完璧なのだろうが、社会に対して応用が効かないとは不幸なことだ。
つまるところ、現代人、現代文明とやらは、それほど飛び抜けて賢明な存在ではないということだ。
なにしろ、飛び抜けてスケールの大きな過ちを犯しつつあるのだから。

マンキュー マクロ経済学(第3版)1入門篇

マンキュー マクロ経済学(第3版)1入門篇

租税国家の危機 (岩波文庫 白 147-4)

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