ボーランド数学の興亡

志賀浩二の「無限からの光芒」は予期せぬ事象に満ちあふれた(数学)史書だと思う。
第一次世界大戦第二次世界大戦のハザマに一瞬の光輝を放ったポーランドの数学者たち。
シェルピンスキ、スタインハウス、バナッハ、ウラムらを中心に連続体仮説位相空間、解析集合、測度論、バナッハ空間などで高度で独自な業績がうちたてられる。
いやはや、壮観だ。

シェルピンスキのよく知られたフラクタル状の無限幾何学はSierpinski gasketだ。
こんなBGMまでは生真面目な彼も想像しなかったろうが、数学モデルイメージは
彼の想定内だろう。

選択公理から導かれたこんな定理が典型例だ。

平面R^2の非可測な部分集合Aで、次の性質をもつものが存在する
Aは平面上の任意の直線と高々2点でしか交わらない


無限からの光芒―ポーランド学派の数学者たち

無限からの光芒―ポーランド学派の数学者たち

 無限集合に関わる数学的思弁にこれだけ専念した学派は珍しい。確かに、隣国ドイツの熱い数学研究の余波が押し寄せてきてはいた。選択公理に関わる論争を含む数学基礎論についての巨大な波濤がポーランドにも伝わったであろう。
 だが、公理主義や論理主義など思想的な信条に関わる議論ではなく、連続体仮説選択公理が生みだす目新しい景観にポーランド数学者らはこころを奪われていた。その最たるモノは「バナッハ・タルスキー定理」であろう。
定理というよりは逆説である。

豆を有限個の断片に分割して、それらを寄せ集めて太陽の大きさの球体をつくることができる

物理学者はこれを中性子→陽子+中間子など素粒子生成に適用できないかを真面目に検討しているという!(ワプナー参照)

バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?

バナッハ=タルスキの逆説 豆と太陽は同じ大きさ?

可視化した例がある。S.ワゴンの解釈に基づく映像だが、これを観てもなんだか分からないよね。WagonはMathematicaの権威でかつバナッハ・タルスキー定理の専門書をだした数学者だ。

こっちの本の方が簡潔でよいわ。

新版 バナッハ・タルスキーのパラドックス (岩波科学ライブラリー)

新版 バナッハ・タルスキーのパラドックス (岩波科学ライブラリー)

 かのブルバキのひとり、デユドネの「人間精神の名誉のために」でも、20世紀のこの時期のポーランド数学の勃興が、ロシアと日本(光栄にも)と並べて述べられている。

人間精神の名誉のために―数学讃歌

人間精神の名誉のために―数学讃歌

 彼らの視線は「無限」に向けられていた。なぜ無限についての考究が彼らの関心を喚起したのかは、志賀の本では触れられていない。
どんな背景があるのだろうと普通の科学史を紐解いても、ポーランド系の科学者というくくりで、コペルニクスマリー・キュリーくらいしか見当たらない。
それを幾つかの状況証拠から推測してみたい