散らかしの考察 あるいは、混沌の源としての幼児

 まともなおとなはあるべき場所にしかるべきモノが収まってないとストレスを感じるようだ。
これは言ってみれば、生活の習慣が固定されているが大きな要因だ。それと他人の眼を気にするからでもあろうが、でも他人もそうだと思い込んでいるだけの節もある。
 そう、秩序がないと気が済まないように精神が凝り固まっているとも言えよう。いや整理整頓が悪いというんじゃなく、何か硬直的なものがおとなには染み付いていると言いたいだけだ。
なんだか、ますます悪し様に述べたような文章になっているが、整理整頓はなくてはならない常識・慣習だとわかったうえでの反省・自己分析だと思ってもらえればいい。
むしろ、こどもの自在性を褒めるための前置きなのだ。
どうして台風や病気の蔓延などの混乱をこどもが喜ぶのだろう?
散らかしは子どもらの喜悦の源のようだ。積み上げた積み木を突き崩す、大きな砂山をこわすのは彼らの得意とすることだ。
散らかすことに創造性がないか。創造的破壊というか、創造は既成の秩序をつきこわすことからスタートするような、そんな行為であるような気がする。
日本はこれまでの仕組みにこだわりすぎている。年寄り的な温故懐旧だけでは前進はないだろう。
一回モノゴトを解体させて組みたてたって良かろう。
そういう「ぶっ壊し」を嬉々として行う機会はなかなか巡ってこないのが実情である。
創造するには破壊が伴なう。