神社というとご神体があり、それを奉納する社殿があると、まあ、それが古来の姿だと信じ込んでいた。
司馬遼太郎の『街道をゆく 仙台・石巻』を読んで、なるほど〜と感じることがあったので、神社の生成を司馬遼太郎の史観にそってまとめておく。
仏像はガンダーラ(現アフガニスタン)で発生したのは常識の範囲だろう。ゴータマ・シッダールタが悟りを開いて後、インドでは仏像などは、寸毫も存在しなかった。
アレキサンダーが東征を行い、ギリシア文明がインド文明と接触した、その混交が熟した場所がガンダーラである。人間的な形象を帯びた仏像はギリシアの彫刻が源なのだ。
それが中国に入る。
すると中国人は官衙の思考で、尊いものには官舎なる建築が無くてはならないとした。それまでは石仏のように山塊に直接穿つのが仏像であったが、平野に降りて建物内に収まることになる。「寺」となる。
日本にもその「寺」が朝鮮から輸入される。
仏教が伝来すると同時に在来信仰も自らの存在に覚醒する。神道の誕生である。
中世には神仏習合が進む。
その過程で、在来神も姿を得て「神像」となる。もちろん仏像に刺激されてのことだろう。
そして、社殿に収まることになる。
ざっと要約するとこんな歴史と文化の変遷を神社は被っている。この見かたが正しいとすると、つまるところ、神社という形式は、はるか遠方のギリシアの影響を受けていることになるのだ。
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