長崎の出島

 鎖国は一種の国家規模の実験だった。食糧、衣料など生活必需品は自国内調達である。
ほぼ完全な閉鎖的地理空間のもとで数千万人がどう生存するか、の壮大な実験だったのだ。
 だが、二つの穴が穿たれていた。朝鮮通信使とオランダとの貿易である。
後者を通じて、19世紀の大きな世界変化を江戸の知識人たちは感知していた。
数人のオランダ人が長崎の商館の駐在していたのだが、江戸期の知識人たちは貪欲に知識を求めた。あたかも吸いとり紙のようにしてレベルを高めていった。ここ出島から蘭学が始まる。

しかるに、その出島は、いまはない。埋め立てた土地としての出島がなくなっただけであり、地名は健在であり、その形状もじつは地理的に見ることが出来る。
このmapでも、辛うじて航空写真から、かつての輪郭は推し量れる。

 長崎港にめんして、それはある。写真中央の扇形の街区がかつての「出島」だ。
出島シアターなるものがある。記念館めいた建てものには、当時のミニチュアが
作られていて航空写真からも一望できるのは愉快だ。
出島、ここに紅毛人たちが住んでいたのだ。


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 司馬遼太郎は出島からはじまり、オランダの歴史をひもとく過程で、江戸時代とバブルの時期の日本を浮き立たせている。

街道をゆく〈35〉オランダ紀行 (朝日文芸文庫)

街道をゆく〈35〉オランダ紀行 (朝日文芸文庫)

古典と言われている『鎖国』で和辻哲郎鎖国体制の閉鎖的思考が日本の破局を招いたとした。
 太平洋戦争の惨状を目の当たりにしてそう発言せざるを得ないのは理解できる。
そろそろ、別の視点から「鎖国」を見直す時期なのかもしれない。

鎖国〈上〉―日本の悲劇 (岩波文庫)

鎖国〈上〉―日本の悲劇 (岩波文庫)

鎖国 下―日本の悲劇 (岩波文庫 青 144-4)

鎖国 下―日本の悲劇 (岩波文庫 青 144-4)

 同じ「鎖国」でもフューチャ・フィクショナルな『ベクシル』があるぞ。
日本が国ごとニートになっちゃうのがユニークすぎだあ。