伽耶と倭国、そして出雲

 最近の学説によると「倭国」とは、釜山を含む南朝鮮と九州北部一帯のことであろうという。魏志倭人伝の「倭」もそうなると九州にあると古代中国人は考えていたのだろう。
 倭人の一部であるならば九州近辺にあった国であるとしたほうが自然なわけだ。けれども箸墓が卑弥呼の墳墓に比定されているくらいなので、いまは大和説のほうが有利なようだ。
 古代の伽耶は鉄器製造技術を誇っていた。百済新羅にも対抗できる技術であったようだ。出雲との関係がここで注目される。
 Wikiの「古代出雲」によれば日本において鉄器製造は出雲地方の技術だった(吉備=岡山もそこに含まれるか?)
 伽耶と出雲はヒトの行き来を含めて深い交流があったのでないか?

鉄器については、山間部で時代の特定できない「野だたら」の遺跡が数多く見つかっている。特に遺跡が多いのは県境付近であり、たたら製鉄に欠かせない大量の木炭の確保は欠かせなかったものと考えられる。西部地方は後に衰えを見せるが、出雲東部では妻木晩田遺跡や竹ヶ崎遺跡・柳遺跡では大量の鉄器の半製品が発掘されている。

 出雲神話でスゴーク独自なのが「国引き神話」である。それによると朝鮮半島の一部が出雲地方に引き寄せられた。それは伽耶地方ではなく、新羅の一部とされている。だが、伽耶という言葉は風土記の時代には伝わっていなかったとすれば、十分成り立つだろう。

 面白いのは「女人国」伝説だ。その比定地はしばしば八丈島とされていた。
「中世倭人伝」冒頭に記載されている朝鮮由来の地図には「女人国」がある。
つまり、室町期くらいまでその存在を信じていたわけだ。

中世倭人伝 (岩波新書)

中世倭人伝 (岩波新書)