『三輪山伝承』は素人の私からすれば、驚くべき古代的な感性の書である。
山中智恵子女史は、ほぼ完璧に古代人の心性に浸りきっている。著者は歌人が本職。三重県在住のヒトであったが、2006年にすでに鬼籍にはいられた。
大和の三輪山は神話の舞台として知られる。ヒロインは巫女 倭迹迹日百襲姫だ。ヤマトトトモモソヒメと読む。舌を噛みそうだ。
伝説は彼女を葬った箸墓であると語る。考古学者の多くが、そここそは、卑弥呼の古墳ではないかとされている。
近隣地区には「纏向遺跡」がある。邪馬台国の中心と比定されている。
三輪山は山自体がご神体。大物主、大穴牟遅を崇拝する三輪神社がふもとにある。
「箸墓伝説」の神の蛇体化身に女史はかしこきものを感じ取る。
鳥のごとくいちはやき明知のひと、水の神を祈るひとは、出水の後の蛇を見、春昼をまどろむ美しい蛇を知らねばならない
と孤立した感慨を迷わずほとばしらせるあたりは、巫女の末裔かと思わせる。
「はじめに石ありき」で山中女史は「大物主神の性格のひとつは、磐座に祭られる神だった」と語り始める。三輪山に自身が「お山する」経験が語られるが、彼女は山中の群居する磐座が「神々の化生のように」感じられたと言う。
この感性にも古代性が宿る。
記紀や萬葉集、群書類従のみならず折口・柳田のみならず本居宣長や伴信友や鈴木重胤を自在に繰り出すその学識にも驚くけれど、なによりも古代人になりきったその洞察の仕業には脱帽するのみである。
近畿にはこのような深き伝承をうけつぐ精神の鉱脈があったのだ。
ただ、仄聞するに山中女史はなぜかキリシタンとなられたと。
何やら彼女の言い知れぬ精神の乖離があったのだ。
- 作者: 山中智恵子
- 出版社/メーカー: 紀伊国屋書店
- 発売日: 1994/01/01
- メディア: 単行本
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