イギリス文学の異色作と時間論と

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))

トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))

 この児童向け小説は一筋縄ではいかない構成だ。いきなり種を明かせばJ.W.ダンの時間理論に基づく複数時間線の物語なのだ。
老女の夢時間が男の子の実時間と交差するのは、そのためだ。シベリア抑留で苦労した高杉一郎の苦心の名訳だ。

 J.W.ダンは航空機技術者であった。先駆的ともいえる無尾翼機を設計開発している。その意欲作「時間の実験」は1927年に出版され、意外な反響を呼んだ。時間はひとつの軸ではない。複数の時間軸がありヒトはそのどれかを選択している、もしくは移行することができる。その例が「明晰夢」であり、別次元の時間体験をしている。
 こんにち、ダンの理論をまともにとる自然科学者はいない。でも小説家や思想家(コリン・ウィルソン)たちに影響を与えた。

 で、プリーストリーの畏怖させる「夜の来訪者」にもダンの理論が下敷きとなっている。
 このハナシは本当に人の心底を動揺させる。
地方のブルジョア家庭の幸福な団欒にいきなり現れた警部が、その家族の小さな不正の積み重ねと一女工の人生の転落がもつれ目のように結びついているのをサスペンス次立てで暴いてゆく。
そして最後に用意されたどんでん返し。う〜む、と唸らされる。
まさに名人の手腕だ。

夜の来訪者 (岩波文庫 赤294-1)

夜の来訪者 (岩波文庫 赤294-1)

このプリーストリーの引き起こす情緒に似ていたのは、米国作家ジャック・フィニーの「ラオ博士のサーカス」だ。日常びたりで真実をどうしても受け入れない市民の反応が、ブルジョア家族の振る舞いに似ているのだ。それゆえ、面白いのではあるが。