最後の明治生まれ

 うちのじい様は明治生まれじゃった。九十の齢いを重ねて物故した。
トルストイと同時代人だったこともあるので、孫のワシも歴史を感じたモンじゃった。
明治43年(1910)にトルストイ翁は家出先で亡くなられた。
明治40年台の生まれの方々はまだまだ全国に健在だろう。10万人以下であろうと推察するわけじゃが、でも、それもあと数年だ。
 

2011年の追記

 2011年現在、明治45年生まれの方は99歳である。
そして、105歳が日本人の最長寿であるので、それを参考にすれば
2017年に最後の明治人を日本は喪失することになるであろう。

では、最後の大正人を見送るのはいつ頃になるのであろうか?
大正15年生まれは1926年生まれであり、それは現時点で85歳を意味する。
上記と同様にあと20年は大丈夫であろう。2031年ころに大正生まれは居なくなる。

ついでに我が世の春を謳歌している昭和生まれはどうであろう。
最後の昭和生まれは1988年(昭和64年)で、イマは23歳だ。このなかにも105歳まで頑張る人はいるだろう。2093年ころまでは昭和はどこかで生き続けることが
期待されるわけだ。


 今回の戸籍上の超高齢者騒ぎは去りゆく明治人について考えさせてくれた。
だが、これからの世界はスーパーな高齢者の出現を待望している。ハイテンションで他者営利を優先し、率先して時代を導く。若者をたて、若者と連帯し、組織の壁を横超する自在人としての超絶的な脱俗的な老人が必要なのだ。
それは「太郎としての国家」イメージを明治に投影した司馬遼太郎の望むような
骨太なsolutionではなかろうかね。
 汲々と健康管理と物見遊山にうつつ抜かす老人像とは須らく訣別すべし、だ。

    降る雪や明治は遠くなりにけり

明治の生んだ巨大な人格のライフがこんなポップな本になっておる。

巨人列伝 (別冊宝島 (141))

巨人列伝 (別冊宝島 (141))

Casiopeaのこの曲を最後の明治人に呈する