「虐殺器官」もプロットは最高だったが、彼方への跳躍が足りなかった。著者の死との隣接状態が小説世界に痛ましい痕跡と切迫感を刻んでいる。9月現在でも売れている本だ。日本的なユルい小説では全然ない。戦闘アクションSFのファッションをまとっているが、その実、身体性の痛みが伴なう。
- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 文庫
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でも、極限を超えての語りかけは弱々しかった。それにつけても伊藤計劃氏の限界状況を想う。
伊藤氏はSF界を弾丸のごとく駆け抜け、34歳で逝った。末期のガンに浸潤されて朽ち行く身体と同居しながらの投企は、作品の質やテンションを止揚させつつも思いのほか小説世界の豊かさをもたらすことはならなかったのか。
三島由紀夫の「豊饒の海」がそうであった如く死の観念は生の豊饒さを蝕むのではなかろうか。
SFの読み手たちはどちらかとおのれの肉体や健康には無関心であるような傾向が強い。
彼岸に自分たちのリアリティがあるような気になってしまう。
映画だけじゃないけど、分かりやすく言うとトレッキアンだってそうじゃん。ガンダムやエヴァのファン、ジブリのファンもスーターウォーズのファンもそうじゃん。
オタクにとっては、真の実在はあっちの世界にある。解放されたリアリティは確かにあっちの世界にあると彼らは感じている。彼のブログ「伊藤計劃:第弐位相」は「はてなブログ」に奇しくも永遠に静止した会話のごとく残っている。
そんな人達が死に対面したときって、デカセクシスはどうなるのだろう?
そいつが一番の疑問だ。