邪馬台国の新研究

安本美典は古代史に数理的な視点を持ち込んで、大いに気を吐いたけど。
その後、彼の後継者が見当たらないのはさびしいです。


邪馬台国のロケーション問題なんていうのは、文献・古墳・地名と地理が適度に残存しているので、安本美典方式の研究はもっともっと発展させていただきたい。
かくいう、私も研究を進めようかと考えております。こんなメソッドを検討してます。
魏志倭人伝より陸行・水行の距離方角情報をとる。地図の固有地名を地図上のマップする。対馬や松浦など確度高いものはそのまま地図に対応付け。
そのうえで、「文献と地名との誤差」が最小のネットワークを組み合わせ計算する。
魏志倭人伝の距離方角と地名はかなりブレがあるためです。その組み合わせ数通りから
もっとも地力(当時の民家数)と出土物(古鏡など)がマッチするものが正しいロケーションだとする。
だれか協力してくれませんかねえ。

九州説と大和説では現在、後者が有利そうな機運ですが、それもこうした計算機科学=計算幾何学で決着がつけられるのではないでしょうか。

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歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

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ちなみに「日本書紀」を書いた人々は卑弥呼神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))と同一視していたという。
応神天皇の母だという。応神天皇は新王朝の開祖、神武天皇と並ぶ位置づけの重要人物だ。鬼道の巫女である卑弥呼と子供を持つ神功皇后をいきなり同一視できないが、応神王朝の重要な関係者が卑弥呼である可能性は高い。