飛鳥にはその由来が不明の石像が多く、そのどれもが図抜けて風変わりなので空想をそそる。道祖神像や亀石などを含む遺構について夢想してみたい。
斉明朝の飛鳥京は国際的な場所であったとされる。
日本書紀にある記述が、発見された遺構と結びつく。斉明女帝は独身女性の気ままからなのか、派手ずき新奇好みであったらしい。
興事を好みたまう
と書紀は伝える。
石の遺構はこちらをご覧下され。
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/asuka.html
200m×80mの池のあとがあり、「狂心の渠」も発掘された。この大和盆地に水の構築物をつくるというのは、相当な難工事であったろう。狂心とは女帝の異様なまでの土木への執心を指すのだろう。
現在に残る地名になぞらえて、風変わりな遺物が見つかる。
20世紀になって、小字「水落」からは漏刻=古代の水時計の遺跡が、小字「石神」からは、ここで取り上げる道祖神の石像が出てきた。地名は飛鳥時代にあった遺物を時をこえて我らに伝えているのが分かる。
この漏刻は『韓国科学史』によれば渡来人である百済の天文学者が協力したとある。それまでの日本にはない精密な時間計測の仕組みである。
そして、道祖神である。この石像は日本史上で孤立している。翁と嫗が腕をとりあいユーモラスな姿勢と表情で何かを語りかけている。内部に管があり翁の杯と嫗の口から水が噴き出るようになっている。
百済からの渡来技術者が、なんらかの要請でこのような石像を残したのだろうが、朝鮮半島には同様な石像がなさげだ。不思議な石像なのだ。
神話学者の大林太良は『真室川の「饗宴」』において、山形県真室川地方に伝わる嫗翁の雌雄同体伝説や飛騨の両面宿儺をひいて、飛鳥道祖神の系譜を探しだそうとした。
後代の道祖神も男女が右左にあり、右手をとりあっているのは共通である。
例えば、http://blog-imgs-21-origin.fc2.com/y/u/i/yuichifam/20080706183108.jpg
なので、道祖神と見ることができる。それに対し、和田あつむは、古代中国神話の西王母と東王公とする異説を立てている。飄逸な笑顔の嫗翁像は、そんな遠来の神の像なのであろうか? だが、それは朝鮮半島にも伝わらぬような神話であろうし、造形もかなり異質ような気がする。
百済人の石工&芸術家が誰かに注文を受け、何かに影響を受けて掘り出したユニークな造形。誰かと何かが、まったく理解できないがゆえに、ひどく気になるのだ。
ちなみに旧百済の光州や全州、そして古都扶余に伝わる様々な石文化の遺物をみても、こうしたユーモラスな石像はない。
あえていえば、済州島のトルハルバン(石老爺)という石人の立ち姿が道祖神に重なってみえる。だがトルハルバンはつい200年前に出現しているのであるので、明日香の道祖神とは直接の縁はないのであろう。だが、似ている。
「ミロク石」は風化されてコケシのような姿で信仰の対象になっている。これはまあ、なんと純朴なフォルムなことか。ヒトがまるくなる、ホトケもいといけないのである。この時代にミロク信仰は新羅にあったが、百済を通じて伝わったのであろうか。
このミロク石は、あえていえば、朝鮮の光州の定林寺址の石仏がその素朴な味わいで似ているが、どうも縁が遠いようなところがある。
そして、どんじりの亀石。
http://www.kasugano.com/kankou/asuka/index2.html
亀石のニンマリ笑いはいかにも和ませる。長さ3.6メートル、幅2.1メートル。これだけの巨塊の亀は古代日本、いや江戸期にいたるまで、他にはない。
飛鳥の石彫刻は、全般にひどく大陸風で余裕がある石の遺物ばかりなのだ。
なんともナゾいのである。
大林太良「真室川の「饗宴」」はこの本に含まれている。
- 作者: 大林太良
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1991/02/01
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