メリエスとウーダン:初期映画史

 ジョージ・メリエスは恵まれた家庭の出で、トーキー映画が生まれた頃にはロベール・ウーダン劇場を主催していた。ウーダンは歴史上の大マジシャンである。ウーダンのあみ出したトリックはその後の奇術界を変えてゆく。
 1897年、映画の可能性に開眼しメリエスは新境地を開拓してゆく。
 マジックの劇場公演を運営するがゆえに、有名な『月世界旅行』のようなファンタジーを制作する素地はあったし、イリュージョンのようなトリッキーな映像を残している。

これが1902年の『月世界旅行』だ。

1903年の『妖精の王国』にはスフィンクスがでる。

『不可能な旅路』は銀河鉄道のようなファンタジーである。批評家筋は『月世界旅行』の二番煎じとみなしているようだ。

また、ドレフェス事件に取材したニュース映画もある。メリエスはドレフェス派だったらしい。


 これだけの仕事を成し遂げたメリエスを待っていたのは破産であった。大衆の好みはいつの間にかメリエスの作風には飽き飽きしていたのであろう。
 晩年は小さな玩具店を営んでいたそうだ。玩具店とは、いかにもメリエスらしい。


映画史を学ぶクリティカル・ワーズ

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2013年元旦 追記:この映画は晩年のメリエスを主人公にした映画だ。地味な構成だけどメリエスへの熱いオマージュである。