ロシアの数学者

ロシアの数学への貢献は目を見張るものがある。
お世話になったスミルノフの教科書もそうだが、盲目の解析学者ポントリャーギンは最適制御理論でも優れてい業績を残した。

最適制御理論における最大値原理 (ポントリャーギン数学入門双書)

最適制御理論における最大値原理 (ポントリャーギン数学入門双書)

競争の場の最適過程―競争の場の最適過程/微分ゲーム (1971年)

競争の場の最適過程―競争の場の最適過程/微分ゲーム (1971年)

この微分ゲームというのが、面白い。自動追跡ミサイルと戦闘機の鬼ごっこで生き残るにはどうするか、どういう条件でなら逃げ延びれるか。
運動力学的な連続ゲームについての考察だ。
こした連続性をもつゲームはどんなものがあるか?コンピュータゲームのピンポンのようなものは、辛うじて当てはまるかもしれない。

コルモゴロフは数学のほぼ全域にわたる研究を成し遂げたうえ、数学史を著した。

19世紀の数学〈1〉数理論理学・代数学・数論・確率論

19世紀の数学〈1〉数理論理学・代数学・数論・確率論

19世紀の数学〈2〉幾何学・解析関数論

19世紀の数学〈2〉幾何学・解析関数論

19世紀の数学〈3〉チェビシェフの関数論・常微分方程式・変分法・差分法

19世紀の数学〈3〉チェビシェフの関数論・常微分方程式・変分法・差分法

その他にも数論におけるチェビシェフとか、位相幾何学のアレクサンドロフとかキラ星のごとくだ。
なぜ、ヨーロッパの辺境であり比較的後進国だったロシアに西洋数学の伝統がシッカリ根付いたかというと...よく経緯は分からない。
ただ言えるのは、オイラーがペテルスブルグに招かれた時期があること
これが歴代のロシア科学に何らかの巨大な余韻を残したのではないかということだ。

フェルマンの評伝によれば、第一次滞在1727年〜1741年
と第二次滞在1766年〜1783年と活動的な30年もの歳月を
ペテルスブルグで過ごしている。その足跡がロシア人を刺激しなかったとは考えにくい。

オイラー―その生涯と業績

オイラー―その生涯と業績

まあ、そこは歴史と伝統の重みの差があると認めようではないか。