国民伝統的なオタク性

 消費文化の究極などというけれど、日本文化には昔から「オタク性」が含有されていたように思う。
 松村松年という大学教授&理学博士の『日本千虫図解』などを眺めていると虫好きというのはオタクの原型かと錯覚する。
 ひたすら虫の観察を持続した記録なのだが図解というだけあって微に入り細を穿つ描写を線画で究めている。こうした書籍を20巻近く著している。
 虫好きが根深い国民性なのだろうというのは、ベルツ博士の明治時代の指摘などでも想像できる。

 なにかを無性に収集してまわる性分は本草学の分野で遺憾なく発揮された。江戸時代の本草学者は取り憑かれたように草木を記述しまくる。
 もちろん西洋の博物学のようなものがあるが、日本の本草学はなにやらオタク性が秘められている感がある。
 どんなところがオタク性なのかというと。
 細目に入りすぎて根幹を見ない。レア性を誇る。門外不出な閉鎖性(お家性)が随所に顔を出す。情報整理と議論より、お互いの感性を重んじる等々だ。日本においては、時間が経つと、どんどん様式化して「道」なるものとなってゆく。
 大声では言えないが、茶道、華道や弓道などなどはどうもオタク系の究極進化なのかもしれない。
 アニメ、SF、ゲーム、フィギュアや鉄道系、天文、ストーンマニア、そのはてに坂や珍寺とどんどん分極化している今日、先祖返りを演じているかもしれない自分を発見するのは、奇妙なことだ。

日本千虫図解〈第1,2巻〉 (昭和5年)

日本千虫図解〈第1,2巻〉 (昭和5年)