「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」とのたまう、どこぞやの都知事。
真面目に生きてきた東北の被災者を蔑(なみ)する、この発言にはやり場のない怒りを感じる。
岩手や宮城の沿岸部の人びとほど忍耐強く厳しい自然と一体になりながら暮らしてきた国民は少ない。なんで彼らが我欲を津波で洗う必要があるのか?
文脈抜きで引用したから知事の意図を捉え損なっている、そういう意見もあろう。
一つの逸話を引かしていただく。
かつて柳田国男が渡欧していた最中に関東大震災が起きた。「大震災は天罰」と語るわけ知り顔の日本人に柳田は怒りをこめて反論している。
銀座あたりをウロチョロしているやつの代わりに本所、深川の零細なる市民が犠牲になっているのを天罰とは何ごとぞ
つまり、浮薄な人種ではなく、無辜の人びとがなにゆえ被災したのかと痛憤しているのだ。天罰などとはどのような文脈でも許せる発言ではない。
どこぞやの知事は東日本大震災の被災者に陳謝してほしいものだ。
追記
知事は謝罪した。固有名詞は取り去り、ささやかなメモとしておこう。柳田翁の事績が思い出されただけでも、自らの鞭撻となるし。
もう一つの教訓は、日本は老いて賢人化する政治家は、ほとんどいないことだろうか。
一昔前には、長老然とした重鎮のような大御所がいたものだけど。