エラスムスの「愚神礼賛」は文字通りに受け取ろう。なまはんかな賢さは結局、取るに足らない。バカであればイマが最高で先のことなど思い煩うことがない。トルストイ翁は民話「イワンのばか」でバカであればそれが救いの近道であるのを明示した。
トルストイのような賢者に恵まれない現代人こそ、痴愚の戦略が必要だ。
大まかに言うと、痴愚の叡智とはこんなものらしい。
ものを持つとはものにとらわれることだ。財産を営々と守るのはそれに精神を占有されてしまうことだ。株・土地・名声・衣装・宝石・若さや知識にこだわることは、それに縛られ、モノに隷属することだ。執着心のためだ。
さて、アタマでそれが分かっていても、日々の言動や生活とは結びつかないのである。そうなってしまうのは、やっぱり我らが生半可に賢いからであり、人にもそう思われたいからでもある。
じつに執着心のしからしめることだ。
我らの賢さ、愚かさはハンパ・チュート(中途半端の英語読み)なのである。そこは無分別を選択しようではないか。分別は無分別に究極的には負ける。
なぜだろうか?
人類が自負している理知や知識などは将来の半分も見通すものでないからだ。
営々と富と名声を築いても、喪失はあっという間にやってくる。死別への苦悩の半分は、喪失のし難さに由来する。ホスピス運動の元祖エリザベス・キューブラー・ロスの学説を小生はそう理解している。
わが中世人(ヨーロッパもそうだろう)はそれを肌身にしみて理解していた。
「一言芳談抄」はそうした悟達=愚昧な人びとの尊い寸話集である。
俊乗房いわく、後世をおもはんものにじんだがめ一つも、もつまじき物とこそ心えて候
世間、出世の至極たゞ死の一事なつ。死なば死ねとだに存ずれば一切に
大事はなきなり。この身を愛し、命ををしむより、一切のさはりはおとることなり
あるいは、
なにごとも、人も道具もありあひにすべきなり。衣食佳もありあひがよきなり、物をもてあそべば志をうしなふ。無ければなか心やすきなり。
資源危機の今こそモノにこだわらず今生の覚醒をはかるべきときかもしれない、とどなたか聖なる人がいでて、唱導してくれはしまいか。
凡なるものがすぐできることとして、馬鹿であることの素晴らしさを満喫しよう。*1
ビートルズでも聞きながらバカがどれほどエライもんか考えてみたのでありました。
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