普通な感覚をもつ女性は、人工的な同性に本能的嫌悪を表明するようだ。初音ミクはまさにその典型のようだ。
この『夜の女王のアリア』がよく出来ているとはツユとも感じないらしい。なぜ、反発するのだろうか。デジタル音源でこうまでホンモノっぽく歌えるのはスンゴイのに。
初期のMIDI音楽に関しても彼女らの反応は「ナニソレ嘘っぽい」だった。未熟な技術への反感は男性より厳しいのだろうか。
「不気味な谷」はもう一つの事例だ。一般的に男女を問わずリアルなヒューマノイドロボットへの嫌悪感・不気味さをこう呼ぶ。
そこにはさらに性差があると思う。女性はこうした女性型ロボットには嫌悪とまではいかずとも
かなり反発を感じるらしい。彼女らには、女性型ロボットはいつまでだって「不気味な谷」のママなのだ。
「不気味の谷」が本当に怖い証拠(動画) : ギズモード・ジャパン
これは、そう思う男性側が異質・異常なのだろう。
その一例が、ピグマリオンだ。ピグマリオンの神話はその原型にさかのぼるとより見えてくるものがある。
古代ギリシアの伝説的かつ天才的な彫刻家がそのモテる力をふるって創り上げた完璧な女性像に惚れてしまう。
技術が自然を模倣したあげく、その人工自然が創作者をとり込んでしまうのだ。これは芸術家やその愛好家や趣味人にも起こっている。
ところで、人工的な女性造形嗜好はテクノロジーの発展初期にも起きている。
リラダンの『未来のイブ』だ。この小説ではフランスの若い貴族が女性への失望体験をエディソンに打ち明けることから始まる。
エディソンが女性の代替品として提案するのは、女性型ロボットだ
リラダン自身が興味深い性格の持ち主だった。アクセルの城では主人公が人生に倦み生活は召使に任せたとの放言を実行にうつす
精神的貴族主義者のリラダンは世俗的なものすべてにノンを突きつけた。
エディソンが蓄音機の技術でお話し人形を製作したのは事実だ。だが、ロボットまではいかんせん無理であったろう。
だが、時代はそうしたイマジネーションを好んだ。
フィギュアに関しても似たようなことは言えまいか。実体よりも女性的であると信じこみ、過剰なイマジネーションを人造物に投影する一群の人々。永遠に少女的なものがそこに纏付いているかのようだ。
- 作者: ヴィリエ・ド・リラダン,斎藤磯雄
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