「検索」のイデオロギー

 Googleおそるべし。
リアルタイム検索技術がいつマニカ実装されていた。最近気づくとは、誠に足元に疎い限りだ。検索メニューで「アップデート」をセレクトすると「twitter」のリアルタイム(というよりも準リアルタイム)に重要なツブヤキを選出してくれる。
 これはいったいどういうことか?
 「重要な」と言ったが何を持って何百万の「イマ」のツブヤキから順序付けをするのだろうか? Googleの技術責任者(インド人!)は言葉の頻度を使っていると発言していた。似たような発言でもっとも典型的かつ他からフォローされているツブヤキに重み付をしているのだろうと推察する。
 さあ、これで「検索」が何に向かって突き進んでいるかみえてくる。
現代は大衆の時代であり、大衆が支配者でかつ被支配者だ。大衆を知ることが、大衆が知ることが一義的に正しいことになる。
ロングテールは無視される。弱小な多様性は喜捨される宿命だ。
 Googleの検索パワーそのものは、こうなるとその他大勢がどう考えどう感じどう評価するかをはじきだす神託マシンだ。
「各テーマのベストテン、ライトナウ」
つまり、ネット接続者全員の自己認識を醸成しているのだ。
 それが「検索」の最先端である。