柳田国男の塚の探求

柳田国男の名著『日本伝説名彙』から「塚」を拾い集めると。

 いやはやこれだけ塚にまつわる伝説が、塚の種類があるのですなあ。
山野をあるき伝承を収集して残しておいてくれた柳田翁に感謝しなくては。

糠塚
すくも塚・九十九塚
粕塚・味噌塚
飯塚
飯盛塚
一夜塚
百塚
千人塚 埋葬
将軍塚
椀貸塚
稚児塚
金塚
宝塚
犬塚
鰻塚
狼塚
猫塚
鶏塚
駒塚
牛塚
白馬塚
物見塚
五郎塚
小町塚
比丘尼
うわなり
尼塚
遊女塚
安寿塚
行人塚
入定塚
晴明塚
鬼塚
足塚
車塚
戸塚
面塚
舟塚
藤塚

 こう並べてもとりあえず意味不明ですなあ。でもほんの一部ですが、スゴイなあ。
 柳田翁はとくに「十三塚」に入れ込みすぎて、他人から変な目で見られたと記してます。もう少々、翁の思考を探ってみました。
民俗学上に於ける塚の債値』なる文章があります。
そこから、彼の考えを拾います。

塚の高みで祭儀があったと措定しています。

高い所で紳を祀る習慣が古くからある

 しかし、いくら考えても「動機」や「起原」は分からないと嘆いておられます。

何故に経を土中に埋めるのか、多数の小石を塚に積み上げるに至った起源は何であるかを考へると、何人もまだ共が日本に始まった事か、他圏他民族の聞から還って来たのかをすら断定する事が出来ない。況んや、塚の種類は、是等二三に止まらず、所在、名稽から推測しても、首初之を築くに至った動機を解するに苦しむものが幾らもある。

また、これらの塚がつぎつぎと壊されてゆくまえに、その意味を学問的に解明する使命を募らせています。翁がそう記したのは、大正七年のことです。

我が組先の平民が、長い問、是非しなければならぬものと考へて、共守旧と、其生涯の何十分の一かを割いて、我々に残した所の痕跡が、斯くの如き不注意の下に、永久に消え去る事は、それだけでも不本意である。