ルパン三世は国民的アニメである。
どうしてかな。
どうやら日本昔ばなしにある類型に似ているのが一因だと思う。
峰不二子との関係は、「竹取物語」のかぐや姫を想起させる。
いくら努力しても、どのような贈り物を不二子に届けようとも、それは虚しくいつまでたっても報いられることはない。それにしても峰不二子の声優さん70代だなんて驚きです。
ルパン三世のEDの歌詞をみたまえ。
この手の中に
だかれたものは すべて消えゆく
定めなのさルパン三世
このような、そこはかとない別離の民話は日本に多い。木下順二の戯曲の素材ともなった「鶴女房」では命を助けられた鶴が、女房になって家業に精を出す。
そのラストでは秘密を知られて、泣く泣く別れてゆく。
この手の茫漠たるハナシが日本昔ばなしの一大特徴だと河合隼雄はかつて論じた。
「すべてを失い元の状態に戻る」もしくは「元のもくあみ」
そういう民話のパターンは日本人の無意識に馴染んでいるのだそうな。*1
ハリウッド映画の人気作品とは大違いだ。だからこそ、自分にはしんと響くものがあると思う。
ルパン三世はそうした民話の主人公に似ている。彼はいつまでも元の木阿弥となり呆然とし続ける。
そうした民話の典型は、「うぐいすの里」であろう。
昔、ある山のふもとに一人の若い樵夫がすんでいました。ある日山さ行くと、野中の森に立派な屋敷を見出す。
アレやコレやがあって、その屋敷の若い女との約束を破ってしまう。
最後がいいので、全部引用する(関敬吾「日本の昔ばなしⅢ」岩波文庫より)
そのとき、さっきの女が帰って来ました。樵夫の顔を見てうらめしそうにさめざめと泣き出しました。
「人間ほどあてにならぬものはない、あなたはわたしとの約束を破ってしまいました。あなたはわたしの三人の娘を殺してしまいました。娘が恋しい、ほほほけきょ」といって鳴いて、その女は一羽のウグイスとなってとんで行きました。
樵夫は小烏のゆくえをながめ、傍らの斧をとりのけて伸びをしました。そして気がついて見ると立派な館はなく、ただの野原にぼんやり立っていたということである。
ルパン三世のストーリーは、どれをとっても喪失のかすかな哀感があり、その虚しさがこのような昔話そっくりなのだ。
おまけに、振り出しに戻るお話しなのである。盗みも恋もうまくゆかなく、いつも素手に立ち返る。サクセスストーリーではなく、アクセクストーリーだ。
残るは相棒の次元と五右衛門との連帯感あるのみ。それにしてもなんで次元は友情を尽くすのだろうか?
モンキー・パンチの原作はもっとニヒルで大人のストーリーである。しかしながら、次元大介にしても石川五右衛門にしても、執着心のないタンパクな性格は、淡々と悲喜劇を受け入れる民話の主人公の友としてふさわしくはあるまいか?
宮崎駿の傑作アニメと評される『カリオストロの城』では、この民話性がどうであろうか?
そこは、読者諸賢で鑑賞して再度検査されたい。
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*1:中国の寓話にも多いよね