ハイテク・トイレと俳句の心

 外国人のビックリするのが、日本のトイレだというのはもはや合言葉みたいになった。クールジャパンにはこの手のトイレが必須アイテムとなった。
 便器に仕込まれた温水シャワーに便座暖房は、たしかに衛生的で理にかなかった機能だろう。日本が生み出した立派な工業製品だ。
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 それに加えて、音隠しのトイレをここで取り上げる。例のご婦人トイレで音楽が消音してくれるメカニズムだ。お隣りの韓国人女性ジャーナリストが驚いていた。
 こんな気配りするテクノロジーは他国にはないであろう。もはや立派なカルチャーである。それも、気配りカルチャーである。

 でも、どういうわけでそこまでやるか。
 そのココロは俳諧精神にあるというのが、愚考した結果のマイ・オピニオンである。

      

   古池や蛙飛び込む水の音


 この句は日本人は誰でも教科書で習う。世界最短の詩と俳句は定義されている。
 苔むした小さな池。ヒトが訪れることのない池だ。俳人の気配を感じたカエルが、トボンと水に飛び込んだ。その音の余韻だけがいつまでも残っている...
 わずか十七語に五感が共鳴し、想像がひろがる。たったこれだけで、芸術を感じてしまうのである。


 この芭蕉の句は、ひとつの音から生き物の動態、閉じられた空間のあり方が具体的なイメージを呼び起こす。こうした国語教育をうけている国民は五感の互換性を高めるに違いない。
 五感を研ぎ澄まし、きめ細かな想像をめぐらしてしまうのだ。立派なカルチャーだ。それが「音消しトイレ」という他国民の考えも及ばない「気配り」テクノロジーに結晶する。

 いやはや何とも気苦労で、しかも、ご苦労なことである。

ミクロコスモス―松尾芭蕉に向って

ミクロコスモス―松尾芭蕉に向って

*1:2010年のヒットソング「トイレの神様」も後押ししているかのようだ。