ゼロの発見

 アラビア数字は正しくはインド数字と名を改めるべきであうと、表記法を発明・発見した地域に敬意を表すべきと誰かが書いていた。
すでに7世紀にインドでは、位取り法とゼロを生み出していた。位取り表記を生み出したのはインドなのである。
 中村元も書いているように「ゼロ」はインド哲学の「空=sunya」と等価なものとして認識されたらしい。「空」は仏教の思想にもある。
零が数字になると同時に、負数を方程式の解にも取り入れた。一次方程式はここで完成したと言えよう。ある数を零で割ると無限大が生み出されることもインド数学者の関心を引いたらしい。
 古典ギリシアのエレア学派は「一者=Oneness」存在の論理をエウクレイデス(ユークリッド)の数論に持ち込んだ。インド的思惟は無を数字に持ち込み、この両者は中東における代数学のさらなる進化を支えたといえる。
 ゼロが数学を通して現代物理学に不可欠な道具になっているのは、ドーキンス君など反宗教的な自然科学者グループには気の毒なことだ。彼らは空の思想の遺産に則りながら、電荷の正負やゼロ点振動やカシミール力、核エネルギーは質量がゼロになりかわる代償で生じる、などを論じているのだから。
 「巨人の肩の上」にのっているとニュートンは謙虚に表現したが、宇宙的宗教思考のインド人や存在についての思弁をしたギリシア人が、そうした巨人であるのは、否定出来ない事実だと思うのだ。


異端の数ゼロ――数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

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 和算にいつ「ゼロ」がもたらされたかもインドの影響を考える上で、重要な案件だ。どうやらそれは「塵劫記」に最初の用例があるらしい。丸で表記しているのだ。つまり、西洋数学が到達する前に日本人は「ゼロ」を知っていたことになる。
 漢字の「零」はその証拠なのかもしれない。

「数」の日本史―われわれは数とどう付き合ってきたか

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