昭和の電気自動車時代(EV)

 終戦後まもなく、電気自動車時代が訪れるかのように信じられた時期があった。GHQの統制下でガソリンが簡単には入手できない、そうした時代に中島飛行機立川飛行機などの軍需産業のエンジニアらは、その飛行機製造のノウハウを電気自動車に賭した。
 当時の自動車ボディは剛性がないため、それほど重くなかったのであろう。昔ながらの鉛バッテリーで充分であったようだ。
早くも1946年に東京電気自動車で「オオタ号」「タマ号」を製作している。トヨタ系会社のそれは「デンカ号」だそうだ。
特にタマ号の走行性能は平均時速二十八キロで、一回の充電で走る距離が、九十六・三キロメートルであったことだ。車体も軽く、エアコンやヒータなどがなかったのでこれだけの性能がだせたのであろう。
当時としては十分実用的なものだ。

実のところ、それ以前にも電気自動車はあった。
なんと最初の実用的な電気自動車の国内登場は1920年なのだ。

昭和五年(一九二〇)、名古屋電気局、東邦電力、湯浅電池、中島製作所の四社が計画した電気バスからだといわれている


しかし、普及の勢いがついた電気自動車はあっけなく消え去る。その顛末はこの本で続きを読んでいただくこととしよう。